埼玉県郷土史

大正15年9月20日発行
著者:鯨井寅松
国立国会図書館デジタルコレクション永続的識別子:
info:ndljp/pid/924862

銅の献納と國分寺

第四十二代元明天皇の和銅元年正月,我が武蔵國秩父郡から銅を朝廷に献じたれぼ、天皇は大いにお喜びになって年号を和銅ご改め、翌年二月には鋳銭所を設けて和同開宝といふ貨幣を造られた。我が國で貨幣を鋳た始めである。蓋し和銅の献納は,全國に影響が及んで天皇はお喜ぴのあまり大赦令を出して罪の軽重なく悉くお赦しになり、叉老人、孝子、節僕などにも夫れぞれ褒美があった。特に武蔵國はその年の租税を免ぜられて無上のお恵に浴したのである。

此頃から仏教が盛んになり,各地に寺を建つるとか或は慈善事業が行はれた。彼の北多摩郡國分寺村にある國分寺跡は、武蔵國の國分寺のあった所で、聖武天皇の頃には僧寺、尼寺に分れてなかなか盛んなものであった。大里郡寄居町末野には國分寺瓦の焼跡が残って居る。

元正天皇の養老年間に僧逸海が建立したといはれて居る比企郡高坂村の岩殿観世音は、坂上田村麿の再興を以て名高く,叉川越の喜多院は淳和天皇が慈覚大師に勅して開かしめた古刹で、後に天海僧正と徳川家光の誕生の間とを以て世に知らる。

これ等の寺院は古くより文化の中心となり、人民を済度したることが多いが、中にも飢餓せる貧民を救ったのは武蔵の悲田所である。これは仁明天皇の御代に、武蔵の役人が数名で自分の俸給を割いて建てられたもので、朝廷は大いにこの挙を賞讃せられて永く維持されて居った。

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