埼玉県郷土史

大正15年9月20日発行
著者:鯨井寅松
国立国会図書館デジタルコレクション永続的識別子:
info:ndljp/pid/924862

武蔵の一の宮

神武天皇は初め日向の國に居られたが、其の後舟師を率ひられて大和地方を平定せられ、都を橿原の地に定められた。やがて天富命を房総にお遣はしになって開拓事業に従事させた。此の頃武蔵と房總地方とは僅に江戸川を隔っるのみなれぼ、その事業は幾分武蔵にも影響が及んたであらう。

然む直接皇化に浴したのは、第十代崇神天皇の御代である。天皇は敬神尊祖の念の厚い方でその上人民を愛撫せられたからお恵は全國に及んだ。彼の四道将軍の一人なる武淳川別命が武蔵にお出になったのも此の御代である。武蔵國の一の宮である官幣大社氷川神社は命が天皇の勅を受けて官幣を奉ったのが始めであるといはれてゐる。其後御歴代の天皇の尊崇が厚く、殊に徳川氏が幕府を江戸に開くに当って、三百石の朱印を寄附し且つ社殿一切の造営は幕府が行ふことゝし諸侯を選任して工事を行ふに至った。明治元年東京奠都と共に明治天皇には勅して武蔵國の鎮守とせられ親しくお祀りになった。

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