埼玉県郷土史

大正15年9月20日発行
著者:鯨井寅松
国立国会図書館デジタルコレクション永続的識別子:
info:ndljp/pid/924862

朝鮮人の帰化

奈良朝になって朝鮮や唐との交通が盛んになり、彼の国人の我れに帰化する者が非常に多くなった。これ等の中には百済人あり、新羅人あり、高麗人あり、何れも其の住所を異にして居った。

我が武蔵國は,第四十代天武天皇の御代に、百済人が始めて緑化してから、次の持統大皇の御代には新羅人が北足立郡の西部から入間郡の南部に亘って住むことになった。奈良朝になっては仏教の隆盛に件って僧侶などの帰化する者が多く、第四十三代元正大皇の御代には諸國に散在せし高麗人を集めて、千八百余人を入間郡高麗村の附近に住ましめ高麗郡を置いた。第四十七代淳仁天皇の御代には更に帰化人の為に、北足立郡志木町の附近に新羅郡を置いた。

これ等の子孫は何れも土着の民となって、開墾事業に当り、或へは朝廷に仕へて顕官に上った者もあり、特に孝謙天皇の時新羅征伐の御計画の際は武蔵、美濃の少年各二十人づゝを選んで新羅語を研究させたるが如きは帰化人の誇りといふべきである。

閉じる

閉じる